Go To キャンペーンは天下の愚策か、英断か

どうも、謝り屋です。
世間では「Go To キャンペーン」(以下、GoTo)の是非がかまびすしく取り沙汰されています。
果たしてこれは天下の愚策なのか、英断なのか、私なりに考えてみました。

先に結論を言ってしまいますと、まあ、条件しだいでやってみてもいいのではないかと。
理由は以下のとおりです。
1.移動の自粛が続けば、観光地、旅行関連の皆さんが経済的に疲弊してしまう。
2.その結果、貴重な観光資源と多くの雇用が失われてしまう。
観光業という業種は我々が想像する以上に薄利多売な世界です。いちど潰れてしまうと取り戻すことが非常に難しい。また名所名店は唯一無二の存在なので、代わりが利かないわけですね。無くなったらそれっきり。なかなか重大な問題なのです。

ただし、もちろん人の移動に伴うコロナの感染は抑え込まなくてはなりません。まさにその対策が最大の論点であり、キモです。
では何に着目すればよいでしょうか。GoToの是非は、基本的にタバコを巡る議論に似ています。
「こんな時期に旅行なんて信じられない」「いや、やっぱりたまには遠出で息抜きも必要でしょ」。これは「タバコは百害あって一利なし」「他にもっと体に悪いものはある」のイデオロギー対立の相似形といってもよいくらいで、そう簡単に溝は埋まりません。

ならば、交通機関に「GoTo車両」を作り、店舗、施設に「GoTo OKマーク」を付けてみてはどうでしょう。GoTo客を受け入れると常連客が逃げていくな、と判断したお店は「GoTo NGマーク」を付ければよい。マークはダウンロードしてプリントアウトできるようにしておけば、大した費用はかかりません。
GoTo客はリスキーな行動の自覚がある以上、自身がどう見られているか分かっています。ある程度選別されることは仕方ない。それでも迎えてくれる所で土地の魅力を感じよう。そういう謙虚かつささやかな気持ちで旅を楽しめばよいと思うのです。
タバコにはない「感染する」という特性は、時間で処理するしかありません。帰着後4日間は在宅勤務、もしくは休みをとり、その後体調に問題がなければ出勤解除、てな具合です。

まあ、GoTo叩きの根底にあるのは、この国特有の「勤労は美徳」なる価値観でしょうね。この国難にあって遊び呆けるとは何事だと。ただでさえ生活が大変な人からすれば、旅行者は嫉妬の的でしょう。
ただ、時間もお金もある人には、どんどん使ってもらった方がよいのではないでしょうか。補助が出る分、財布のひもが緩くなることも期待できます。どうせ累進課税でとられるなら、地域を潤した方がwinwinです。
そう考えると「東京着」除外は拡散防止のためやむを得ないとしても、「東京発」を外したのは愚策ですね。政策を最大に生かすための高度な政治的判断を放棄した。そう受けとられても仕方ありません。仏作って魂入れず。またまたトップのグダグダさが露呈してしまいました。