安倍元首相の銃撃事件で考えたこと

安倍元首相が遊説中の奈良市内で銃弾を受けて倒れた。民主主義に対するこの上ない冒涜であり、怒りの感情を隠さずにはいられない。
どのような立場の人々も、公序良俗に反しないかぎり、自由な言論を認められる。
今回の事件は、そんな当たり前の権利を脅かし、民主主義国家の存立を覆しかねない、極めて悪質な犯罪行為だ。

また、この一件は司法制度に対しても一石を投じた。
かの「桜を見る会」において、安倍元首相の事務所が不適切な会計処理を行い、安倍氏もそれを黙認していたのではないかとの疑いをもたれた。
結局刑事訴追は免れたが、果たして本当にそれが正しかったのか。

司直の仕事は、真実を追究し、国民の多くが納得のいく落としどころを見つけることだ。
しかし、本当にそれができていたのか。それこそ”忖度”が調査の過程に影を落としていたのであれば、これまた法治国家の存立を揺るがす重大な陥穽だ。

容疑者の話によれば、安倍氏に対して政治的な異論があったわけではないという。たらればを言っても仕方ないが、もし安倍氏が別の訴訟手続きを経て、塀の中に入っていれば、名誉は失っても命の危機は免れただろう。

法治国家において私刑は許されない。その裏返しとして三権分立、あらゆる権力から独立した司法権が存在する。
今回の一件は、司法権力にとっても看過できない事件となるはずだ。